第八話

昔教師だった南間栄と、サラリーマンだった南間三郎・・

2人とも創業者でもなければ、自分で事業を立ち上げた経験もない。

だからこそ、新しいビジネスを始めるにはより謙虚に取り組まなければならない。

2人とも本当の意味での経営者でもなければ、ホテルのエキスパートでも無いのだから・・。

奥日光湯元に於ける林野庁の土地の一部が貸し出されることになった時、

南間ホテルはその借地の権利を得ていた。

それにも関わらず、「この権利をどう生かしていくか?」という事に

南間栄は全く興味も意欲もなかった。

この人には、「新しいリスクを負い、努力していく事」など考えの他だった。

必然的に南間三郎が中心になって、構想が練られていく。

南間三郎にとっては、自分の時代の幕開けだった。

南間康も引退に近い状態だったから、南間三郎の思い通りに構想は進んだ。

何のビジネスのコミニュケーションもない家族の経営陣の中で、

南間ホテルの新しいプロジェクトは

”修学旅行を中心にした宿泊施設の建設”という事で決まった。

季節の稼動の差の激しい土地では、総花的に様々な客層を受け入れざるを得ない。

ゆえに、セグメントされた顧客層に対しての設備投資がしずらいのだ。

南間三郎は、この問題もこの新施設に拠って解決しようとした。

新しい施設を修学旅行などの客層に特化し、

現在の施設を一般顧客向けにリノベーションをしていく。

そして、それぞれに効率的なマネージメントをする。

これは正しい判断だと思われる。

しかし、運命とは一瞬の愚かな意思決定であっという間に暗転する。

だからこそ、トップは広い見識と思慮の深さが必要なのだ。

ここで南間三郎の経営者としての力量の無さが出てしまった。

功を焦ったのか?それとも、より安定した売上が見込めるとでも思ったのか・・、

旅行業界第2位の近畿日本ツーリストの資本を受け入れてしまったのだ。

それも資本金の50パーセントのシェアを・・

何の意味も、何のメリットも無い明らかなフライングだった。

近畿日本ツーリストの経営陣は様々な条件をつけて、

むしろ南間ホテルに対して恩を売るようなかたちで参画してきた。

南間三郎と彼らとでは、明らかに修羅場が違った。

株式会社奥日光高原ホテルという新会社はこうしてスタートした。

そして、南間栄は代表取締役になった。

このことこそ、正に近畿日本ツーリストの思う壺だった。

この南間栄という人間は、あるのは名誉欲だけであって実態が無い。

しかし、社会的には南間三郎よりも知名度があった。

そして致命的なことに、南間栄と南間三郎との間には、お互い信頼感もなく

また、実質的には何のコミニュケーションもなかった。

この南間ホテルの脆弱な経営体質を見事につかれ

開業後、あっという間にデッドロックに乗り上げてしまった。

そして、近畿日本ツーリストは株式会社南間ホテルにも

触手を伸ばしてきた。

奥日光高原ホテルには近畿日本ツーリストからの出向者を送り込まれ、

金融関係にも手を入れてきた。

南間ホテルの”とても幹部と言えないような能力の無い幹部達”をはじめ、

社員達には動揺が走ったし、当然出向者たちから甘い言葉をかけられる。

もはや組織は崩壊し、誰も南間三郎を守るどころか協力さえしなくなっていた。

南間栄はさんざんに逃げ回った挙句、経営責任を追及され

代表権を手放すことで身の安全を図ろうとする。

これも近畿日本ツーリストの思う壺だった。

「新しい代表者は近畿日本ツーリストから出す」

という要求を突きつけられた。

南間三郎は心労のあまり入院してしまう。

南間康はここで腹を括った。

もしも潰れるとしても、

自分の人生である南間ホテルを自らの手で葬りたかったからだ。

南間康はまだ学生だった南間元を呼び寄せ、

2人で最後の闘いに挑もうとした。