第三話

久吉から受け継いだ商才は、康の中にも脈々と流れていた。

もしも男だったらと、彼女を知る人達は思った。

彼女が思うがままに経営していたなら、南間ホテルは全く違う形になっていたかもしれない。

しかし彼女は強い意志と責任感とは裏腹に、謙虚な明治の女でもあった。

彼女は二重のコンプレックスがあった。

1つは学歴が無いこと。そして2度目の結婚であること。

婿養子の栄は、苦学してR大学を卒業し、英語の教師をしていた人だ。

しかし、経済も経営も学んではいなかったし、知識も無かった。

従って、時代を読む力も持ち合わせてはいなかった。

そして、このビジネスを肌で知っている康の実力を見くびり、嫉妬して、何かと張り合おうとした。

康はそんな栄をひたすらたてた。

しかし実務は、何といっても康が取り仕切る他なかった。

そして、顧客との信頼関係、従業員に対するリーダーシップ、何をとっても康のパワーが上だった。

栄には、そんな康を大事にしながら経営していく器は無かった。

その事はその後ホテル経営に、影を落としていく事になる。

康の努力により確実に業績を積み重ねていたホテルは、また1つプラス要因を得る。

それは日本では早い時期のスキー場の開発だ。

地元の有志と共に林野庁に陳情し、東武鉄道の援助も得て日光湯元スキー場は出来た。

これにより、南間ホテルも通年の営業が可能になった。

冬のある時期、ホテルは流行に敏感な洒落たモダンボーイのスキーヤー達のたまり場になった。

夏には名の知れた政治家や財界人、文化人の達の避暑に使われた。

ホテルの敷地の中に「小梅龍神」という小さな社がある。

これは、当時DB社の社長だったUS氏ゆかりの社だ。

US氏が南間ホテルに滞在中に倒れた。

医者を呼んでも、全く理由が分からない。

そこで、U家に縁の有る占い師を呼んだ。

その占い師が言うには、

「この土地には、白い蛇が住んでいて”自分を奉れ”と言っている。」とのことだった。

早速、社を建て奉ったところ、US氏は瞬く間に快復した。

以来U家の方々には、様々な形でお世話になった。

US氏のご長男は、後に経団連会長になられたUK氏だ。

順調に発展していた南間ホテルも、やがて大きな時代のうねりの中に巻き込まれることになる。

第二次世界大戦だ。